2018年07月13日

名古屋フィル第459回定期演奏会 2018.07.13


デュティユー: チェロ協奏曲「遥かなる遠い国へ」
メンデルスゾーン: 劇音楽「真夏の夜の夢」(抜粋)

チェロ:ニコラ・アルトシュテット
ソプラノ:盛田麻央
メゾ・ソプラノ:富岡明子
女声合唱:愛知県立芸術大学女声合唱団
指揮:ティエリー・フィッシャー

元常任指揮者、現名誉客演指揮者のティエリー・フィッシャー、名フィルへ2年ぶりに来たる。
あのリズム感を、スピード感あふれる音楽をまた聴けることがうれしい。
そして、ティエリーはオケを、ソリストを、合唱を、そして聴衆を魔法にかけて夏の夜の夢へいざなった。

当夜の白眉は弦であったと思う。数年前、ティエリー常任指揮者時代まで色濃く残った悪い意味での緩さが解消され、弱音はきめ細やかな絹のよう、強音は輝きを増して美しい。これは前常任指揮者マーティン・ブラビンズと現音楽監督の薫陶、努力によるものであろう。
例えばデュティユーでの細かい動き、ソリストのアルトシュテットを邪魔することなく美しく聴かせていたし、メンデルスゾーンの序曲や第1曲で刻んでいくあたりに著しい進境を感じた。力感、リズム、音量、素軽く透明な音色。
私自身は名フィルを久々に聴いたわけだが、世代交代著しく、若手が増えた弦はこれからもどんどん良くなっていくだろう。
木管も水準に達していたが、むしろ金管の素晴らしさを讃えたい。
メンデルスゾーンの「夜想曲」のホルンとファゴットは音色もバランスも素晴らしく、「結婚行進曲」のトランペットは名フィルでは記憶にないくらいに、確実で輝かしく、ミスの心配を全くしなくてもよい安心感に満たされていた。90年代後半、いや00年代前半でさえトランペットの部分は不安が大きかったことを思えば、本当に進歩している。
上に書いたオーケストラの進歩は、実のところティエリー常任指揮者時代には解消されていなかった部分も多々あり、今の名フィルでティエリーが振ったレパートリーをもう一度聴いてみたいという欲に駆られる。崩壊しそうで崩壊しなかったマーラーの9番。インテンポで駆け抜けたベートーヴェンの5番。今の名フィルならどんな演奏になるだろう
CD化されたショスタコーヴィチの5番、特に第3楽章。今の名フィルの弦ならどんな演奏になるだろう。
…個人的には、現音楽監督よりもブラビンズやティエリーでもっともっと東京や大阪に出て行って欲しかった。名曲好きで現代音楽が嫌いで、知名度によって演奏の良しあしを判断するきらいのある、保守的な名古屋の聴衆には判らない魅力を発見してもらえたかもしれない。

さてデュティユーであるが、実に「現代音楽」らしい曲だった。アルトシュテットの超絶技巧、そして高い音の美しさに感銘を受けたが、なにぶん曲が初聴でつかみどころがなく、メロディーではなく響きで聴かせる曲が私は苦手なので拙い感想すら書くことが難しい。
しかし、多分名フィルが得意とするタイプの曲だと思うし、聴いている限りは破綻もなく、むしろソリストを含めとんでもなく素晴らしい演奏だったのに、私はそれを理解できなかったのではないか、という惧れが湧いているほどである。

メンデルスゾーン。冒頭に書いたティエリーの魔法であるが、最初の数小節はかかり切っていなかったように感じたけれども、その後は完全に魔法にかかった様子であった。弦の刻みが最高に美しく、歌わせるところはスタイリッシュに歌わせるスタイル。刻みとの切り替え、バランスが昔の名フィルの弦には難しい課題であったのだ。今ではそれを軽々とクリアしていく。
テンポは早めでテンポを揺らすことはしないが、絶妙のクレシェンド/デクレシェンドでメンデルスゾーンをドライブしていく。この疾走感、もちろん曲が曲だけにアウトバーンを飛ばす感覚ではなく、コーナーワークで減速をあまりかけることなく難所を通過していく快感に近い。そう、この快感だよ! ティエリーと名フィルの演奏はこうでなければ。
ソプラノ、メゾソプラノの各ソリストも素晴らしかったが、何よりも女声合唱がティエリーの振る音楽にぴったりとハマって聴きごたえがあった。愛知県立芸術大学の女声合唱団なので、時折名フィルの定期演奏会にも登場する在名古屋のアマチュア合唱団に比べれば全体的に年齢が下であり、失礼ではあるが若くなければ出せないフレッシュさ、色気、そういったものが聴きとれた。
(前も書いたが、第9の合唱を県の合唱連盟ではなく、音大の合唱団や岡崎高校のコーラス部にやってもらってもいいんじゃないか、いやむしろやってもらうべきだと思う)

もう一度聴いたらまた違う発見があり、感想も変わってくると思うが、私は残念ながら14日は欠席である。
「真夏の夜の夢」序曲、スケルツォ、「結婚行進曲」だけでも聴きに行く価値があると思う。
ぜひひとりでも多くの方に聴いていただきたいと思う。
posted by knykeee at 23:48| Comment(0) | 音楽日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月24日

2018年度名古屋フィル注目の演奏会

新年度を迎えた。
名古屋フィル4月定期の感想をtwitter界隈で見ると、特に伊福部作品が素晴らしかったようで心から良かったと思う。
日本のオーケストラが日本人の作曲家を取り上げないと、そして日本の聴衆が日本人の作曲家を応援し、正当な評価を下していかないと…。
食わず嫌いではもったいない。いつまでも18世紀、19世紀の外国人作曲家ばかりでは進歩がない。

さて、2018年度の名古屋フィル定期演奏会のラインアップを見ると、
 ・7月のティエリー・フィッシャー(デュティユー&メンデルスゾーン) 
 ・9月の川瀬賢太郎(バーンスタイン) 
 ・翌2月のヴィット(藤倉&ドヴォルザーク&チャイコフスキー) 
といったところに食指が動く。

しかし、このBLOGはへそ曲がりなので、定期演奏会以外の名古屋フィル演奏会で、わたくしが行ってみたいと強く感じたものを書いてみたい。



2019/2/2(土)16:00 豊田市コンサートホール
豊田市コンサートホール・シリーズ vol.6

サン=サーンス:歌劇「サムソンとデリラ」より「バッカナール」
※【サイド・バイ・サイド】=豊田市ジュニアオーケストラとの共演
サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番
ラヴェル:ピアノ協奏曲
プーランク:グローリア

ヴァイオリン:竹澤恭子
ピアノ:広瀬悦子
ソプラノ:天羽明惠
合唱:東京混声合唱団
指揮:尾高忠明

https://www.nagoya-phil.or.jp/2018/0202113314.html

2018年シーズンのどの定期演奏会よりも魅力的なプログラムがこちら。
尾高さんの指揮でフランス音楽、しかもオーケストラとヴァイオリン、ピアノ、声楽がそれぞれ共演していくという、本当に洒落たプログラム。
その上、プーランクのグローリアは東京からわざわざ東京混声合唱団を招いて演奏されるという豪華さ! 名古屋フィルと東京混声合唱団の共演は1997年シーズンの黛敏郎プログラム以来ではなかろうか。
何よりも、尾高さんと名古屋フィルで演奏されるフランスの宗教曲というと2007年シーズンのデュリュフレ:レクイエムが思い出される。あの時の演奏は岡崎混声合唱団&岡崎高等学校コーラス部の絶唱とともに、深く深く記憶に残っている(あの演奏会、CD化しないかな)。
尾高さんと名フィル、そして東京混声合唱団の共演による化学反応が心から楽しみな演奏会である!

そして、マーティン・ブラビンズの遺産である「サイド・バイ・サイド」が豊田市コンサートホールシリーズでは残っているのがうれしい。
名古屋フィルとウィーン・フィルが混成で演奏会に臨む「トヨタ・マスター・プレイヤーズ、ウィーン」は、名古屋フィル各楽員のレベルとモチベーションの向上へ確実につながっているが、若い学生プレイヤーたちに名古屋フィルが一緒にステージで演奏することで「胸を貸す」形になっている「サイド・バイ・サイド」も同様に、学生たちのやる気を引き出し、技術の向上に大いに貢献することだろう。
そういったことを指揮者や聴衆が応援することは、ある意味では未来への先行投資でもあると思うのだが、残念なことに現音楽監督になってから市民会館シリーズではやらなくなってしまった。現音楽監督には現音楽監督の方針があってそれは尊重されるべきであるが、前任者の取り組みのでも良いものは継続してくれればよいのに、と思う。


2018/12/25(火)18:45 愛知県芸術劇場コンサートホール
第九特別公演

ベートーヴェン: 交響曲第9番ニ短調

ソプラノ:中江早希
メゾ・ソプラノ:布施奈緒子
テノール:中嶋克彦
バス・バリトン:押見春喜
合唱:愛知県合唱連盟
指揮:鈴木秀美

https://www.nagoya-phil.or.jp/2018/0202112540.html

毎年当然のごとく行われる年末の第9。
今年は鈴木秀美さんの登場で興味深い演奏になることは間違いないところだ。
どんなアプローチになるのか、本当に今から楽しみだ。
通常は名古屋市民会館で2公演だが、今年は名古屋市民会館で1公演、愛知県芸術劇場コンサートホールで1公演になった。
これは絶対に愛知県芸術劇場コンサートホールで聴くべきだろう。


2018/11/10(土)16:00 サラマンカホール
岐阜特別公演2018

ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーヴズによる幻想曲
ブルッフ:スコットランド幻想曲
エルガー:ためいき
エルガー:エニグマ変奏曲

ヴァイオリン:郷古廉
指揮:ロリー・マクドナルド

名フィルとイギリス音楽は意外に相性がいい。
尾高さんと組んだエルガーの交響曲、ブラビンズとのヴォーン・ウイリアムズ、いずれも名演であった。
その名フィルが岐阜でグリーンスリーヴズによる幻想曲やエニグマ変奏曲を取り上げる。これもまた楽しみな演奏会である。
指揮のロリー・マクドナルドと名フィルのコンビは、マーラー「大地の歌」が思い出される。


https://www.nagoya-phil.or.jp/2018/0202110608.html
posted by knykeee at 19:58| Comment(0) | 音楽日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月13日

名古屋フィル「平日午後のオーケストラVol.1」 2018.02.28

ムソルグスキー(ラヴェル編): 「展覧会の絵」
ラヴェル:ピアノ協奏曲
ラヴェル:ボレロ

ピアノ:岡田奏
指揮:円光寺雅彦

岡田奏さんのピアノは、「小股の切れ上がった」と評したくなるようなカッコよさ… 第1、第3楽章でのリズム、歯切れの良さと、第2楽章の叙情が同居した、粋な演奏であった。しかし、オケはうまいが鈍重でもっさりしていて、ピアノの粋な感じに対応しきれていないきらいがあった。
まるでパリジェンヌと田舎紳士のようであり…粋な軽やかさが足りないのは、失礼ながら当日の指揮者、円光寺氏の特徴のひとつだと私は思っていて、何年か前に聴いたプーランクの2台ピアノのための協奏曲でも、あるいはガーシュウィンのパリのアメリカ人でも同じような感想をいただいている。

「パリのアメリカ人だが、よく言えば素朴、悪く言えば不感症のように聴こえた。もっと軽くて、もっと楽しくならないか。あまりにシンフォニックにやりすぎではなかったか」(名古屋フィル第371回定期演奏会の感想より引用)

逆に言えば、ラヴェルのボレロのような曲はそういう面が出にくく、(失礼な言い方をするが)粋な部分は独奏を受け持つオケの各奏者たちに任せておけばよいので、テンポと音量等交通整理の良しあしが勝負になる。当日は勝ち負けで言えば勝ちでよかったのではないか。
私は菅生氏の第1スネアの存在感で胸がいっぱいになり、客演奏者のサクソフォーンの響きのつやっぽさに胸がときめき…標準以上であったことは間違いない。
ただ、個人的には打楽器首席氏が叩くティンパニが、ふんわりとしてまろやかで、オケに埋もれがちになることに全く納得がいかなかった。「展覧会の絵」のクライマックスで、ボレロのクライマックスで、オケに埋もれ他の打楽器にすら埋もれてしまうティンパニというのは…?
もちろんこれは好みの話で、上手下手の話ではないことに充分なご理解をいただきたい(打楽器首席氏の名誉のために書けば、ツイッター界隈では素晴らしかったとの声をいくつも見掛けた)。
しかし少なくとも、打楽器首席氏が打つフォロースルーの大きなffは、前任ティンパニの菅生氏が表情を全く変えず冷静に出すmfに、音の大きさが負けていることは確かなのだ。

それにしても、当日開演前の挨拶や、ピアノ協奏曲後に独奏者へのインタヴューを軽やかな話し方で、反響が多く何を言っているかわからなくなることがままあるコンサートホールにも関わらず、実に聴き取りやすい声の高さと音量でお話しされた円光寺氏なのに、音楽は軽やかにならないというのはなんだか皮肉なものだ。
以前から私は「80歳になったときに化けているのは円光寺氏ではないか」説を唱えている。
どこかのオケにメインの指揮者として腰を据えることができて、便利屋としてではなく、ご自身の本当にやりたい音楽をある意味で「わがまま」に選ぶことができるようになり、加齢やら何やらのタイミングが合致した時に、 軽やかさよりはまじめできっちりかっちりとした音楽を指向しておられる部分で、いわゆる「巨大な構造物」が出来上がったりしないものか。それがブルックナーなのかショスタコーヴィチなのか、それとも他の作曲家なのかはわからないが。
「世界の名指揮者」系の本を読むと、 若いころはそこまで高い評価を受けられなかったが、年齢を重ねるに連れて音楽が変わって評価が上がったという指揮者がいるものだ。その系譜に円光寺氏が入る可能性はゼロではない。
この話をすると大体は首を傾げられるのだが、私個人は折に触れて円光寺氏の音楽を聴く機会を作ることで、その予想がどうなるかを、老後の楽しみにしてみたいと思っている。
posted by knykeee at 05:43| Comment(0) | 演奏会覚え書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする